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松井テル子

(松阪市)募金協力者

信条:因果
長い間、夫婦で一生懸命働いてきました。
事業を息子に譲り、子どもたちを独立させ、今、夫婦で生活を楽しんでいます。
そんな折、「生命の駅伝」に出会えたことに感謝しています。

松田弘和

実行委員

1995年、地域おこしの趣旨で、誰でも参加できるランニングの会「熊野走らん会」を発足させた。「生命の駅伝」には、2001年、第7回から趣旨に賛同し、トラックの荷台に和太鼓を乗せ、打ち鳴らしながら国道42号線沿いの街々を、がん研究支援を呼び掛けながら参加した。太鼓は数年で終えたが、会のメンバーは毎回参加している。「生命の駅伝」は県南部に着実に根付いています。
私は2014年9月、人間ドック受診で、胃がんが発覚し全摘出しましたが、幸いにも、早期発見で転移もなく、「今生きていることを実感しながらランニングを親しんでいる。走らん会メンバーの中には、私同様にがんになった方もいるが、元気に日々を過ごされている。みな、検診を受け、早期発見しているからだ、と思う。高齢者集団の私たちが、「百歳まで元気に走ろう!」をスローガンに、今後もがん研究支援を発信していきたい。

  • 1957年生まれ
  • 1981年より三重県南地域での小中学校教員。
  • 1991~1994年にインドネシア・バンドン、2005~2008年にベルギー・ブリュッセル、2018~2021年にアルゼンチン・ブエノスアイレスの各都市の日本人学校に文科省から派遣され、在留邦人子女の教育にあたる。
  • 1995年、県南地域の市民ランナーに声をかけ、地域での走る人と人のつながりをもつ「熊野走らんかい」を立ち上げた。
  • 1998年から始まった「奥熊野韋駄天ウルトラマラソン(旧・奥熊野100KMウルトラマラソン」にも20年余り関わっている。

樋口裕子

実行委員

津市生まれ津市在住の看護師です。
マラソンは8年ほど前から痩せるために始めて今は外さない趣味になりました。ビーサンランナーです。山登りも好きです。

生命の駅伝は4年前にランニング友達に声をかけていただき、参加しました。私自身職業柄、がんの患者さんには長年関わりました。その中で感じたことは、がん治療は進歩しているということです。がんのステージや種類によっては完治するし、がんが消失しなくても皆、がんと付き合って暮らしています。2人に1人はがんの時代で、私の周りにもがんと付き合っている人が何人もいます。  夫も3年前に大腸がんステージⅢで手術、抗がん剤治療をうけ今の所、再発なく過ごしています。 夫の再発も心配ですが、明日は我が身という気持ちでいつも過ごしています。

生命の駅伝でがん治療に貢献し少しでも役に立てたら嬉しいです。がんが風邪みたいに大したことない(風邪も重症化すると怖いですが)病気になる時代がきっと来ると信じてます。
これからも参加できる限り生命の駅伝に参加させていただきたいと思います。スタッフの皆さん、ランナーの皆さん、コース、サポートなどすべて楽しく、毎年私にとって、大事な行事になっています。  可能な限り何コースも参加し、走って貢献できたら嬉しいです。これからもよろしくお願いします。もちろんこれからもビーサンで走ります😁雨の日はレインシューズかもしれませんが。

白石泰三

顧問・ランナー

小さいころは体育が苦手で、運動会の前の晩は「明日は雨が降りますように」と祈るような子供でした。中学に上がってから1年間だけ卓球クラブに入りましたが、それ以後、何十年も運動は全くしていませんでした。ふとしたきっかけで50歳を過ぎてからランニングを始めました。うまい具合に職場(三重大学)にランニングを趣味とする同僚が数名おり、夜の11時からキャンパス内のトラックを周回するランニングクラブに誘われて定期的に走るようになりました。最初は遅くて皆と一緒に走ることは出来なかったのですが、トラックの利点で、周回遅れになってもゴールにはあまり遅れずに到着できました。その後レースにも出るようになったのですが、当時は出走する度にタイムが良くなり、とても楽しく走っていました。それが縁で生命の駅伝にも参加するようになりました。ランニングを始めたことで人生観も変わり、何をするにも「遅すぎる」ことはないと思えるようになり、日々をポジティブに暮らせるようになりました。
今は68歳になり、年年タイムは落ちてきていますので、モチベーションが下がり気味だったのですが、昨年から月間100キロは走るように心がけており、何とか20ヶ月続けております。
職場では健診外来も担当し、健康的な生活を過ごしましょうと受診者には薦めていますが、自分の生活を鑑みると偉そうなことは言えないかもしれません。でも、ランニング以外では、毎日は飲酒しない、血圧と体重を毎日測定、定期的ながん検診受診、を心がけております。

徳田文代

会員

私と「生命の駅伝」の出会いは2008年に職場の同僚の人達と参加したのが最初です。それまではやはり職場の山歩きの好きな人達と登山をしていましたが「走る」ことはしていませんでした。翌年の3月に退職したので山歩きをしていた数人の仲間で毎年参加していましたが数年後はひとりで参加するようになっていました。走るコースは飯高~松阪のコースがほとんどです。飯高地区では多くの住民の方が私達が走ってくるのを待っていて募金箱にお金を入れてくださいます。また櫛田川沿いの風景が美しくてそれに癒されて楽しく走っていました。
今は腰を悪くしてしまい走ることはできませんがその他のことで「生命の駅伝」のお役にたてることをさせていただきたいと思っています。
現在世の中の2人に1人は癌になる時代です。医療の進化で癌は治るようになってきましたが治療にはいろいろたいへんなことがあります。私は仕事がら(看護師です)多くの癌患者が治療薬の副作用で苦しむ姿を見てきました。そして治る人もあればがんばって治療を続けても治らない人もあります。私は副作用や合併症をもっと小さくできる治療薬ができないものか、と思います。その研究もぜひお願いします。

万協製薬株式会社 代表取締役社長 松浦信男

松浦信男

協賛・ランナー

生命の駅伝に参加したのは2015年。その出会いは、薬剤師であり、製薬会社を経営する立場から医療の課題や我々にできることは何かと考えるきっかけとなった。 三重県における新型コロナ感染による死亡者は約160人(2021年9月時点)だが、それに比べてガンの死亡者はなんと5000人を超えてくるのである。コロナ禍でがん検診を受ける人が減っている。そのため早期発見が遅れているということは極めて残念だ。この現実をしっかりと見据えていかなければならない。 生命の駅伝は、がん研究及びその研究者を支援し、コロナとも闘いながら、がん治療や研究をしている医療関係者にエールを送る活動。たくさんの思いと使命を持って走っている姿や黄色い旗を見かけたら、ぜひ募金への協力や自分自身のためにがん検診を受けたり、ほんのちょっとでも意識を向けてもらえるだけでもとても嬉しいです。自分一人だけでは小さな力でも、一人、二人とどんどん活動の輪を広げ、がん=死の病ではなく、早期発見により70%以上の方が回復し、元の生活に戻れるということ、症状が出る前の早期発見は、治癒率を大幅に向上させるということを知ってほしいと心から願っています。

■経歴■

徳島文理大学薬学部、三重大学医学部大学院博士課程卒業。

1982年 万協製薬株式会社入社
1996年 代表取締役社長就任

多気町工業会、多気町商工会、多気町観光協会、松阪法人会多気支部、三重県薬事工業会の会長を務める。合気道、フィギュア収集、バンド活動など、多彩な趣味を持つ。

■万協製薬株式会社 受賞歴■

2009年 日本経営品質賞 中小規模部門 等
2011年 第9回日本環境経営大賞環境経営優秀賞、地域思いビジネス共感大賞・奨励賞
2012年 第9回日本パートナーシップ大賞グランプリ 等
2014年 がんばる中小企業300社、おもてなし経営企業選、「子どもと家族・若者応援団   表彰」 内閣総理大臣表彰【子育て・家族支援部門】等
2015年 第6回ものづくり日本大賞 経済産業大臣賞 等
2016年 パートタイム労働者活躍推進企業表彰 奨励賞、防災功労者防災大臣賞 等
2017年 日本経営品質賞 中小企業部門、地域未来牽引企業認定 等
2019年 ホワイト企業アワード2019 働きがい部門
2020年 第6回ホワイト企業大賞 特別賞「社員を守る現場直結経営賞」
KAIKA Awards 2019 KAIKA大賞
2021年 令和2年度「みえ働き方改革推進企業」グッドプラクティス賞
グッドキャリア企業アワード2020大賞

■著者■

人に必要とされる会社をつくる(日本能率協会マネジメントセンター)

永井繁男

実行委員

桑名市出身、鈴鹿市在住の三重県庁AC(アスリートクラブ)のメンバーです。 就職するまでは高校や大学時代も含めほとんど運動をしていませんでしたが、職場の先輩からの誘いによりジョギングを始め、20代ではフルマラソンでのサブスリーを目指して練習していました(一応、サブスリー達成)。しかし、30代過ぎ以降は仕事や通勤の都合等で走ることから遠ざかっていました。 8年前に四日市市内の高校に転勤した際に、職場の教員から誘われウォーキングを始めるとともに、クラブ活動に躍動する生徒の姿に刺激され、1年後から再度、フルマラソン参加を目指してジョギングを再開(月50㎞程度)しました。  10年ほど前に、母親が肺がんの脳転移(転移状況の把握漏れなどあり)で死亡し、個人的に色々な思いが残っているタイミングの中、三重県庁ACメンバーからの誘いがあったことから、走り込み不足で、また、人前に出るのは気が重かったものの、取り敢えずチャレンジしてみようと思い、生命の駅伝に参加することとなりました(父親も、後で大腸がん手術を行い、現在治療中)。 なお、3年前に腰椎を圧迫骨折した影響等で調子を崩し、近年は月平均60㎞程度のジョギングとなっているため、生命の駅伝への参加は負担が大きい状況にあります。しかし、以前に知り合った方々との再会に加え、新たな出会いがあるため、苦しい中でも、引き続き参加させていただいております。  また、普段接することが無い地域に行って、募金される方々や募金活動にご協力していただいている方々の三重大学・病院等でのガン医療・研究への期待・思い、心の温かさ等を素肌で感じることができ、とても有難く思っています。 新型コロナ禍の中も含め、生命の駅を継続実施いただいている生命の駅伝行委員会等の皆様の熱い思いも強く感じ、受け止めさせて頂いております。

伊藤恵美

I’rie life(がん患者の会)代表

I’rie life (アイリーライフ)伊藤恵美

三重県桑名市在住。子供が8歳5歳の時に2016年10月乳がんステージ3aと診断され標準治療を全て受けながら『生きている』事がこんなに尊いものだと知り、治療と平行しながらボランティア団体乳がん患者会I’rie life(アイリーライフ)を設立。がんに影響を受けた人たちが少しでも自分らしさを取り戻せますように。また子育て世代、働く世代のがんを経験した方々が少しでも生活しやすい生きやすい地域・社会になることを望みます。 これからも、がん研究が進み『がんが治せる病気』になる日が来ます様に。命を脅かす病気で無くなり、がんで哀しむ人が一人でも減りますように。その為にも、生命の駅伝様のような活動はもっと多くの人に広まる必要があると思います。そして、私たち自信も検診の必要重要性を理解することが大切だと思います。 今後も、ご活動の発展をお祈りいたしております。